ORIGINATOR

変形し、合体してこそ、ロボット。 彼にとっては、それがロボットの定義である。

彼が巨大変形合体ロボットの建造を志したのは、中学二年生のとき。
当時放映されていた、
トランスフォーマーシリーズや、勇者ロボットシリーズといった
ロボットアニメを観て、石田はこう考えた。

 

「巨大で、変形して、合体する。そんなロボットが実在する社会は必ずくる。
であれば、それを建造する職業が成り立たないはずはない!」

 

彼の志、そのすべてはここから始まった。

 

14歳というのは多感な年齢だ。
その年頃の男の子であれば、
同じように「ロボットを作りたい!」という、
漠然とした憧れを持つものも少なくはないだろう。

 

しかし多くの場合、その憧れは単なる夢として終わる。
具体的なプランを描き、憧れを志に昇華できるものは数少ない。
しかし、石田は後者の存在だった。

 

志を胸に秘め、石田は1人、独学でロボット技術を学び始める。
それから5年後、大学生になっても、石田はひたすらロボット技術を学んでいた。
進学に選んだのももちろん、ロボット建造に必要な技術を学ぶための大学だった。

 

大学生の石田は、バイトで貯めた資金を元に、
10万円程度の小型ロボットを何台も作り、経験を積み重ねていく。

 

時には、ロボット製作に必要な
高度な加工機(CNCフライス、3Dプリンタなど)を
自宅で自作することもあったという。

 

その努力が実を結んだのは、21歳のとき。
彼は独学で、ついに小型二足歩行ロボットを完成させる。
当時はまだ、大企業が大資本を投入して、
ようやく二足歩行ロボットを完成させていたような時代であった。

 

翌年には、そのロボットを変形させることにも成功。
小型とはいえ、人型から自動車型へと変形できるロボットを、
この時点ですでに完成させていたのである。

 

しかし、そこで一つのことに気が付いた。

 

「自分はいままでロボットを中心に学んできたが、自動車に対する学びが足りないのではないか」

 

その後彼は、自分に足りない技術を求めて、自動車関連技術を学ぶことを選択。
そして、時が過ぎていく。
14歳でロボット建造の道を歩み始めた石田も、30歳の青年になっていた。

 

その頃には、ロボット技術も自動車関連技術も習得していた石田は、
持てる技術を総動員し、当時の集大成といえる、
7世代目の小型変形ロボットを完成させた。
それは、彼が考えていた「変形」が、一つの形になったものであった。

 

石田は、そのロボットが変形し、人型として歩き、
自動車型としてタイヤを走らせる姿をYouTubeで公開する。
すると、瞬く間に世界中で大反響が巻き起こった。
石田が、世界へその名を轟かせた瞬間である。

 

翌年、石田は仕事を辞め、独立を決断。
自身が代表を務める会社、
「株式会社BRAVE ROBOTICS(ブレイブ ロボティクス)」を設立する。
「変形」から、「巨大」へと、開発のステージを変えるための選択であった。

 

そして同年、
巨大変形ロボット建造の第一歩となる、
全長1.3mのJ-deite Quarter建造に成功。
またもや世界を驚かせたのであった。

 

しかし、彼の目標、志は、はるか遠い先にある。

 

Project J-deiteのゴールは、
5mサイズの巨大変形ロボット建造だ。
これは、実物の自動車と同じサイズである。
そのサイズの物体が変形し、歩き、走る。
人類がまだ見たことのない世界が、そこには待っているのだ。

 

しかし、石田にとっては、このプロジェクトのゴールですら、
彼が掲げる志、その中間地点に過ぎない。

 

なぜなら、まだ「合体」が控えているのだから。

 

四次元動体造型師 石田賢司の志、
その道のりは遠く、はるか未来へと続いている。